鳥羽離宮跡公園 ここは鳥羽離宮南殿の庭園の跡です。
餅が振り舞われることから「餅祭り」ともいわれる 城南祭、餅祭 9月20日 、城南祭 神幸祭、神輿3基が還御する 10月第3日曜日 、曲水の宴 11月3日 、火焚祭、火焚神事 11月20日 、大祓・除夜祭 12月31日。 上記のように、城南宮と眞幡寸神社は別の社であるとするなら、 城南宮由緒の御旗を納めた社というのは眞幡寸神社なのではないかとも思える。 鳥羽天皇の皇子。
1植物学者・廣江美之助が関わった。
などの戦乱で荒廃したが、になって復興された。
安楽寿院 安楽寿院は鳥羽上皇創建による真言宗智山派の寺院です。
なお城南宮は御所の裏鬼門を守る神となった為、貴族の方違(かたたがい)の宿所となり、方除けや厄除けとして信仰されていました。
本尊の不動明王(重要文化財)は仏師康助の作で秘仏。 当宮は、城南寺という寺院の鎮守社だったともいう。 特別御朱印は、直書きと書置きどちらも対応していただけます。
1076年、嵯峨行幸を行う。
庭園は源氏物語の植物に彩られます。 南殿、北殿、泉殿などが築かれ、それぞれに御堂、庭園があった。 国王の氏寺といわれた法勝寺など多くの造寺造仏、写経を行う。
6時は降って鎌倉時代の承久三年(1221)5月、後鳥羽上皇はここ城南宮に「流鏑馬をする」といって西国の武士を集め、「執権北条義時を討て」と命令を下しました。 以後、第84代・順徳天皇 土御門の弟 、第85代・仲恭天皇 順徳の子 と3天皇に23年に渡り院政を敷いた。
しかし、新政府軍は徳川の領土はすべて没収といってきます。 上皇の追善法要を司る安楽寿院には日本各地の荘園が寄進され、皇女の八条院暲子(近衛天皇の姉)に引き継がれて八条院領と称され、皇室(大覚寺統)の経済的基盤になりました。
4なお春と秋の年2回平安の庭では「曲水の宴」も行われ、王朝の雅を伝えています。
鳥居の向かいには、を祀る三照宮社が北向きに鎮座。