- 初観音• 園城寺の鎮守神であるを北院の鎮守として祀る。 現在の堂は元禄2年 1689年 に再建されたものといわれている。
国宝三井寺展: 宗祖智証大師帰朝1150年を記念して「国宝三井寺展」が開催された(される)。
「なんて、母親の優しい温かさを感じる像だろう。 目の前だけでなく 隣にも その向こうにも 反対側にも 秘仏が見えるのです。 吉井 敏幸、1984、「近世初期一山寺院の寺僧集団」、『日本史研究』(266)、日本史研究会、 pp. 672年、前年の天智天皇の永眠後、 大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と 大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。
十八明神社の真下にはが流れている。
真っ白いお顔には 独特の感じを受け一瞬身がすくみますが 神秘的な感じも受けます。
この辺りは参拝者も殆ど訪れることはないようで、建物も寂れた感じである。 絹本著色両界曼荼羅図• - 別所。
「千手観音像」は平安時代後期の作ともいわれている。 右肩から右手かけてのライン 首の傾き具合から出されるものから 安心感などを与えられるように思いました。
園城寺は平安時代から戦国時代までで合戦・焼き討ち・火災などで23回も炎上しているが、うち14回は延暦寺による焼き討ちであった。 門前の木遣塚は元禄年間、江戸城普請のときうたい始めた木遣節を後世に伝えるために建てたもので、毎年五月三日に鳶職和泉会の有志によってうたい継がれています。
12ただ、「なで仏」の表情は寺によってかなり違うようで、この「なで仏」はギョロリと眼をむき人を睨みつけている。
多宝塔の南側、「三社権現」との間に見落としてしまいそうな小さな祠、 「春子稲荷」(左の写真)がある。