1979年10月1日に「異邦人」のレコードが発売され、同年10月14日からテレビCMの放送が開始された。 その中の1曲である「白い朝」に三洋電機のタイアップが付き、歌手デビューが決まる。 失礼ながら、アイドルと思った。
11しかし、いつからかオリコン初登場=最高位に。
ファースト・アルバム『夢がたり』は、彼女の神秘性と浮遊性を湛えたメロディーと詞の世界に、萩田光雄が様々なアレンジを施し、世界観を統一させているのがわかる。 その過程でライブ依頼も続け、40周年のタイミングで実現した。
写真満載のブックレットに掲載されたロングインタビューでは「今、社会の中核を担っている同時代を生きた皆さんに、何かをお届けできたら幸いです」とコメントしている。
各地のキリスト教会などで教会音楽とを融合させたコンサートや、講演会、交流会を行うなど、活動を続けている。
で、テープを亀山専務に渡したら大変気に入ってくれて「この部分がスポットにぴったりだ」と。
がアルバム『note book』2枚組CDのうち、オンライン配信ライブCDでカバー。 完全に曲の良さを何十倍にもしてる。 近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。
2アイドル不在で、あの竹内まりやサンもアイドルと間違われた時代である。
「白い朝」という小品のタイトルが「異邦人」に変わっただけでなく、歌詞の中のキーワードが「異邦人」になったことで、メロディにも手が加えられた。 「進化した伝説」、「別れの場面」(作曲)• 長い不妊治療を経て、39歳で息子を出産した。
この時点でまだ曲は付いてない。 月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。
がライブビデオ『』の中でカバー。 1つは地味なアレンジ、もう1つが現在まで知られる、あの異国情緒溢れるアレンジであった。
たとえば、冒頭の「子どもたちが空に向かい 両手を広げ……」というフレーズは、JR国立駅近くの空き地で遊んでいた子どもたちを電車から見て詞にしたといいます。
1981年の『』は、それまでとは曲調をがらりと変えた、夏らしいポップな曲で、「オレンジ」のCMにも採用された。 チャート成績 [ ] 当初からCMにサビの部分が使用され、少しずつ売上げを伸ばした。 南沙織や山口百恵といったアイドル歌手を手がけるヒットメーカーだった酒井は、その年の2月にジュディ・オングの「魅せられて」を世に送り出して、1979年のレコード大賞に選ばれることにもなる。
92枚目のシングルとして発売。 本人によると、レコードジャケットの写真は、の『サムタイム』というで撮影されたという。