巻第一、月の宴。 まるで自分の子の受験は親であるわたしの専権事項だからと考えているのか、模試なんかも独断で進めるわけですが、あるいは指示した模試を受けないというのもありましたが、さらには、わたしに「釘を刺す」ようなことを言う親もいまして、心の底では塾の先生というのを軽く見ている、とかく塾の先生というのは、ストレスの多い職業だと思います。
16「なほ」は「そのまま何もせずにいること」、「去り」は「遠ざける」という意味がありますから、ここから想像すると「なおざり」は「何もしないで距離を置いておく(放っておく)」というのが出発点だった、と言えるかもしれません。 ) この戒めは、全てに通じることでしょう。
… とあります。
「ある人、弓射ることを習ふに」の現代語訳! ある人が、弓を射ることを習うのに、二本の矢を手にはさんで持ち、的に向かいます。 そもそも 「おざなり」 が先だったら、音転現象で 「な ほざり」 (「なおざり」 の古語表記) になるはずがないではないか。 2 手元の古語辞典には形容動詞「愚か」はあり、形容詞「愚かし」はありません。
11かりそめに夢見るだけと枕を借りるが、誰かを契りを結んだ(などという変な噂を)人に語らないでくれ。
昼、立ち入り たる 【注4】所に、 あやしき 【注5】黄楊の小枕あり。 ただし、こっちの方は漢和辞典を引いても出てこないので、漢語とみるのは怪しい。
いや、しないでしょう。 それとも、一方から他方が生じたのだろうか。 《なほしもはたあらざりけり=やはり、そうはいっても、【なかった】》 二人はこっそり忍んで逢っていて、人の噂なども不快である。
1912 な 終助詞。
やはり紀行文は、歌枕と先人が詠んだ和歌との兼ね合いが腕の見せ所だと思われます。 毎度ただ得失 なく 10、この一矢に 定む 11べしと 思へ 12。 暮れかかる時に、清見が関を過ぎる。
8わたしは、竹の会のやりかたが気に入らなければいつでも止めていただいてけっこうです、勉強しないのなら竹の会にはいる理由はないでしょ、そういうスタンスです。 幇間や芸妓の世界の 「洒落」 から発生したのではなかろうか。