万が一オークションにかけられたときのために」と書かれています。 1億5000万円もの値段で落札された瞬間、バンクシー自らあらかじめ額に仕込んだ仕掛けによって、その場で細断された。
19Bristol Museum』だ。
Photo by yoshihiro hoshina こちらも同じく2002年制作のもの。 2015年8月に開催された悪夢のテーマパーク『Dismaland』。
そもそも作品の値段は、「何をどう表現したか」よりも「どのギャラリーで展示され、どこの誰が作品を認めたか」という来歴や権威の格付けによって決められていく。 ホームレスだった過去もあるSTIK。
彼がいつ、いくらで購入したかは知らないが、同作品が2009年6月にロンドンのサザビーズで落札された時点での値段は 約430万円だった。
しかし、動画に映ったオークション会場の人々の表情からは、バンクシーの計画はほとんど成功であったといっても過言ではありません。 変革をもたらす人や物を意味する「ゲームチェンジャー()」と題された同作で唯一色が使われているのは、看護師の制服に描かれた赤い十字のマークだけ。
なので、バンクシーの正体、シュレッダーでの種明かしや、なぜそのようなことをしたのかという理由をご紹介します。 女史のハリウッド人脈やセレブリティの繋がりを活かして、 コミッションワーク(委託制作)で作品を直接販売する流通システムへと移行している。
作品がどのような形であれ、バンクシー作品の市場価格が高いことが伺えます。 特に後者のホテルではパレスチナ人を雇ったり、ホテル内の売店で現地人アーティストの作品を販売して、その売上を地元に還元するなど、 社会貢献に尽力していることも忘れてはいけない。
ナチスの占領下にあった当時、パリ市内にあるピカソのアパートにやってきたドイツ役人に「これ(ゲルニカ)はお前が描いたのか?」と問われると、ピカソはこう答えている。
実は、そのパリのレストランにあったネズミの絵は現在撤去されており、現代アートコレクターが壁ごと所有しているという話が。 または、彼流のジョークだったのかもしれません。 一連の流れからこの作品は問題作と言われ、『 バンクシーを盗んだ男』と言うドキュメンタリー映画の題材にもなりました。
4Photo by yoshihiro hoshina 来日時にバンクシーが作品をステンシル・スプレーで描いた段ボールやキャンバス、透明のアクリル板などは、大きなサイズの物を除けば 2万円〜4万円程度で買えたそうで、当時は裏原宿のストリート系ファッション・ショップで、 今では数百万円する版画が1万円前後で売られていたという話もある。
しかし、グラフィティアートが美術的価値があるものとして認められた訳ではありません。 ホテルの名前は「The Walled Off Hotel」といい、パレスチナ問題への社会的メッセージが込められています。 他にも恩恵に預かったアーティストは多いが、制度の導入時期とバンクシーの作品がメジャーなオークションに出始めた時期が重なることから、 彼の存在が何らか影響した可能性は充分にあると思う。
Bristol Museum」で展示された同郷出身のイギリスを代表するアーティスト、ダミアン・ハーストとのコラボ作品。