1973年まで上信線では保安システムにタブレット閉塞式を採用しており、かつ同線における交換可能駅はすべて島式ホームであることから在来車両はそれらの駅でホームに接する右側に運転席を配置してタブレット交換の利便性を図っていた。 1000形・と同様に上信電鉄のであり、から現在まで製・のに当たる群馬日野自動車の車となっている。
10(平成13年)• 急行(高崎、吉井、上州富岡、下仁田に停車)下りは15時台、上りは10時台の1往復• 急行の運転中止、快速の準急化(毎日運転)• 時刻は高崎9時36分発~下仁田10時53分着・11時34分発~高崎12時38分着。
上州富岡を出ると、西富岡、敷地内に旧の藩邸の一部が保存されていることで知られるの最寄り駅である上州七日市駅を通り、の踏切を越えて鏑川が右に迫ってくると川に沿って左にカーブし、その名の通り上野一宮であるの最寄り駅上州一ノ宮駅に到着する。 乗車には上信電鉄鉄道部までの申込みが必要。
37kgレールを40㎏Nレールに交換した他、レール間の継ぎ目を溶接して50m化する。
また、時を前後して千曲川に沿って長野県のに延伸する計画も得て、(大正10年)に社名を「上信電気鉄道」に改名した。 この際、かつてバンパーのあった部分はダミーで黒く塗装された他、側運転台のが撤去されるなど実質的に片運転台車の扱いになっている。
路線図 運賃 [ ] 大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。
トンネルを抜けると国道254号が左手に迫ってきてしばらく並走した後下仁田の市街に入り、まもなく終点の下仁田駅に到着する。 (国鉄テム300形同形)• 2s ease;-o-transition:padding. クハニ10形は1981年、デハニ30形は1991年に全廃。 ブレーキ装置は200形との併結運用を行うために、1980年代の新造車としては珍しく製元空気ダメ管式(AMAR)方式を採用した。
40号• 高さ変更(一部) このほか、乗務員室へのミラー設置やタッチパネル式設定器が設置された。 座席は緑色をベースとした。
1897年(明治30年) 南蛇井 - 下仁田間が開業• 制御段数は22段(直列11段・並列8段・弱め界磁3段)で発電制動は19段である。 34-43• 11月4日 全線仮復旧(ただし、橋梁区間では徐行運転)。 上州福島を出ると沿線第2の都市であるに入る。
20さらに下仁田からを越えて佐久鉄道(現:)のまで延伸する計画 を立て、社名を上信電気鉄道に改称した。