本書は、心も身体も追いつかなくなる前に読んでおきたい一冊です。 『「できない」「やれない」と考えてしまうあなたへ』PHPエディターズ・グループ 2003• 著者 鷲田 清一 出版日 1996-07-19 本書の面白さは「じぶん」という一番近くて一番遠い未知の存在をメインテーマにしているところ。 『夢のもつれ』北宋社、1993年2月。
9レーヴィットのいう〈批判〉の精神とは、「世界と自己自身を観る客観的な即物的な眼差、比較し区別することができ、自己を他において認識する眼差」のことである。
特に「折々のことば」を始めてから、ふだん読まないような、いろんな本まで必要になったから、書店に行ったりして全部自分で買っているんです。 まず最初に、自分が同じ立場だったら、相談役を引き受けるかな?と思ったんです。
」を執筆• 「それはひどいじゃない」と。 『』講談社〈講談社学術文庫〉、2014年11月。 『「顔」という現象』科学技術振興機構社会技術研究開発センター〈社会技術レポート No. 四は絶対に あってはならないもの。
20引用に必要なたくさんの本は、公費を使わず自腹で買ってきた、と衝撃の告白。
2004年4月 同大学理事・副学長• 鷲田さんは、相手が書くということによって、整理されているか整理されていないかをわりと見ていらっしゃる。 『スピノザの方へ 人間と人間の自然をもとめて』三一書房 1987• そうすることによって、問題を解決する道が開け、さらには、自分たちの教育力が向上していくのです。 偉大なる二人の臨床家によるダイアローグ。
8次男の(母方の姓を名乗っている)はので、画家のに因んで名づけられた。
とりわけ卒業式では、学生にとって最後の言葉になるので、毎年、1月になると『今年はなにを話そうか』とそわそわしました」 大阪大学の卒業生にむけては、「市民としての責任」「社会貢献」「リベラリティ」など、社会の中核を担うリーダーたることを期待した内容が語られている。 相談に乗っているように見えて、すごく冷たく聞こえると思うんです。 『定年後に1から始めて一流学者になる方法』青春出版社 2002• 主張 [ ] 「身体」を「からだ」と読む(捉える)鷲田は、「身体」は自分がどのように経験するかという視点から見たとき、「身体」は、「像(イメージ)」でしかありえないと指摘している。
(昭和55年)に同教授。 そういう、訴えている人の背後にいる、書かない人や話さない人たちのことも同時に意識しつつ書いてきました。
自分らしさが実はみんなの檻になっていませんか、と。 『晩節を汚さない生き方』PHP新書 2010• 『「自分」で考える技術』PHP研究所 2014• 『つっぱれ日本人! 鷲田氏は、さまざまな著作で述べられていますが、「価値の遠近法」と名付け、次の4つを上げています。
16『論理力をつける』 1997 「論理的思考を身につける本」日経ビジネス人文庫• 鷲田 ありがとうございます。
『どんな論文でも書けてしまう技術 1億人の「知的生産」講座』言視舎 2014• 自分で考える道具としての哲学』彩流社 2007• 『自分をまもる頭の使い方』PHP研究所 2001• 『こんな大学教授はいりません 「淘汰の時代」に求められる人材』言視舎 2012• 『』晶文社、2019年2月。
20鷲田清一「梅原猛さんへ あなたは『破格の人』でした」【別れの言葉2019】 ツイート 2019. うん、うん」とつい優しいことばで終わるけど、それはぜんぜん役に立たない。
『現代思想 1970~2001』 1996• また、「組織は、一人ひとりが受け身で指示を待つのではなく、それぞれの能力を全開にして動くときに、もっとも活力と緊張感に溢れる」とも言う。 『哲学の発想とパソコンの思考』日本実業出版社 1996• そんな二人の文章と写真が一緒になり、強烈な表現力として読者の心へ届いてきます。
『』木田元・野家啓一・村田純一・鷲田清一編、弘文堂、2014年5月、縮刷版。 1992年4月 助教授• ページ内を移動するためのリンクです 本文へ移動します フッター情報へ移動します. 『』講談社〈講談社学術文庫〉、2020年10月。
『40歳からの飛躍力 伸びる人はここがちがう』ハイブロー武蔵共著 総合法令出版 2005• 要は、「しんがり」だけが隊列の全体や、パーティの全員後ろ姿を見ることができるのである。 右肩上がりの時代は、 もうとっくに終わりました。 注釈・出典 [ ] []• 』井上美香共著 亜璃西社 2009• 『 倫理』 2005• 2007年8月 第16代大阪大学• 今うかがってわかったのは、阪大の式辞の時に言わざるを得ないという状況に追い込まれた経験があったんですね。
16顔の見えない相手にことばを届ける 鷲田 というのは、いつも卒業生と大学院の修了生を合わせて六千数百人の入学式・卒業式があって、数多くの職務の中でこれがけっこうつらかったんです。 鷲田清一(わしだ・きよかず) 京都市生まれ。