1940年には皇紀2600年記念と称して、日本全国や朝鮮などからも石材を集めて、宮崎に「八紘一宇の塔」なる記念物を建てたりもしました。 (憲法学者)『政治・文化の新理念』p. この文書の中に、時のたつにつれて多くの的な思想と解釈がつけ加えられたところの、二つの古典的な成句が現れている。 その後同会は一定の政治勢力となり、が衆議院議員を2期(1期目は繰り上げ当選)務めたほか、やには最盛期で100人を超す議員が所属した。
10「日本は神国」と言えば大バッシングするのと同じです。
2020-12-10 15:55:51• 「天壌無窮の神勅」も、やはり「愛国者」が愛してやまない言葉なのだ。
「皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル嚢国ノ大精神ニ基キ、世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ、先ツ皇国ヲ核心トシ、日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スル」 この「八紘一宇」は神武天皇(初代天皇)が橿原宮(かしはらのみや)に即位されたときに、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」と言われたのに由来します。 第一期冷戦には、北のバルト海から南のアドリア海まで「鉄のカーテン」があり 「ベルリンの壁」があったのならば、 第二期冷戦においての「鉄のカーテン」は、 東シナ海、台湾海峡、南シナ海のラインであり 香港が「ベルリンの壁」であるが、 中共は既に、香港の壁を抜き(七月一日)、 海上のカーテンの東方に侵攻してきている。
9「わが八紘一宇の 大精神」なるものは、この御稜威=神聖な天皇陛下の威力と威光を、日本国内に限らず地球全体に拡張して、天皇の威光で諸国民を「更正」し、天皇を 大御稜威(二重装飾かな)として仰がせる一つの家つまり家父長体制のサル山にする、と言っています。
ところが、敗戦と同時に、サッと的に塗り変ったハシリの一つがこの会社だから、笑わせるのである。 その思いと歴史を含めた言葉で、英語などに翻訳できるものではないくらい、深いものと思う。
17六合を兼ねて以って都を開き、八紘を掩いて而して宇と為す」が出発点。 当時の日本はをはじめとするの政策を取り入れず、独自のをとった。
日本国体学会総裁・法学博士 里見岸雄 『八紘一宇と八紘為宇』 (昭和十六年十一月・里見日本文化学研究所)より抜粋 (前略)「八紘一宇」と「八紘為宇」だが、成る程、日本書紀の原文には「一宇」といふ文字は見えないが「為宇」とはある。 『晋書』武帝紀に「廓清梁、岷、包懐揚、越,八紘同軌,祥瑞屡臻。
『我言霊』(控訴審公判調書第7回 1941年(昭和16年)1月23日) 我国ニ於テハ第一豊葦原ノ千五百秋ノ瑞穂ノ国ハコレ吾子孫の王タルベキ地ナリ云々ト云フ天祖ノ御神勅、第二、神武天皇ノ 八紘一宇ノ御勅語、第三、和気清麿ノ奏上シタ我国ハ開闢以来君臣ノ分定マレリ、云々ノ御神示、之ヲ我国ノ三大ト云フノデアリマス• スターリン・毛沢東は野心をもち、マッカーサー・トルーマンというアメリカも思惑がある。 之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。
12話はそれるが、私も現在の広がっているグローバリズム経済は、国と文化を破壊しどんどんおかしな方向に行っているのでは、と危惧している内の一人である。 現実におこなわれたことではなく、四字熟語「八紘一宇」の無理な字義解釈や「世界同胞主義」などという誤訳へのすり替えによって、大日本帝国の政治的行動や軍事的行為を積極的に正当化しようとするにすぎない。
八紘一宇でも五族共栄ではありません。 延べ約6万人の労働により翌(昭和15年)11月25日に完成し、を迎えて落成式典が行われた。 即ち、我が国は一つの家族で、 天皇は、一家の長が家族の幸せを祈るように 全国民の幸せと国の平和を祈る万世一系の御存在である。
19日本のこころ、八紘一宇。
こんな言葉にまでレッテルを張るとは、今でいう「言葉狩り」・「ポリティカルコレクトネス」以外の何物でもない、と思う。 こうやって、1秒に1ミリずつ隣の女子高生ににじり寄る痴漢よろしく、なし崩しに戦前の軍国主義を正当化されたのではたまりません。
2020-12-10 15:54:08• 一、 対猶太人(ユダヤ人)対策の実施は、一般に尚暫く受動的態度をとると共に、日満両国政府の公的機関の表面進出を避け、専ら内面工作に依り裏面隠微の間に序を追うて進む。 での後、によるいわゆるにより・・過激なを連想させるとして、公文書における八紘一宇の語の使用が禁止された。 大日本帝国は、皇紀紀元前2年の時点で神武天皇が「八紘をひとつの家のように統一しよう! 行矣[さきくませ]。
3これは「八紘一宇」の碑文に反発しているだけでなく、の礎石に当時ののや占領地の切石を使用していたためと思われる。 「一人の統治者のもとに世界の隅々までも統合するということ」(上杉の説明(1))というように、この「家族」には「家長」が支配者として君臨している。