「すぐに結婚したかった明菜と、結婚は30歳を過ぎてからという近藤の考えには温度差があったわけですが、すでに6年間も交際をしていた明菜にとっては、近藤に全てを捧げる覚悟を持っていたに違いない状況でした。
すぐさま慈恵医大病院に運ばれ、6時間にも及ぶ手術の結果、一命を取り留める。 。 しかも! その会場には近藤真彦まで同席し、バックが金屏風だったのです! これは婚約発表会見ではないかと、現場の新聞記者たちが、元旦のトップ記事の差し替えや、見出しのやり取りでちょっとしたパニック状態になっていたという。
13仕事を終え、自宅に帰宅した近藤真彦さんが浴室で血を流し倒れている中森明菜さんを発見、119番通報し、病院に搬送されたことで命を取り留めました。
そこで、近藤真彦さんと中森明菜さんは事実上の破局となりました。 近藤真彦と中森明菜。 自殺未遂騒動以来、初めて公の場に姿を表した中森さんは、近藤さん同席のもと会見を開かれたのですが、マスコミが会見会場に集まると、 金屏風が用意されてあり、しかも近藤さんも同席。
めでたい席に使う金屏風にすっかり騙されて行ったら、メリー喜多川さんに「近藤真彦さんとは関係がなかったと言いなさい」などと命令されます。
近藤真彦さんのスキャンダルは、過去でも1度きりみたいですね。 Q: 体の具合なんですが、傷がかなり深くて神経までいってて、手が動かなくなってるんじゃないかという報道もあったんですが、そのへんはどうなんですか? A:私は小さい頃から体は弱かった方ですけれども、転んでも泣かないたちだったし、怪我は精神で治すのは得意な方だったんで、病院にいるときからお医者さんも回復力にはビックリしてくださってました。
なんとも言えない雰囲気を感じてとってください。 でも実際は中森明菜さんに関連する出来事による謝罪会見だったんですね。 貢ぐだけ貢いで捨てられたことは、それほどショックが大きかったのでしょう。
15<週刊女性PRIMEより> その後、近藤真彦は一般人と結婚しましたが、 中森明菜は精神状態が不安定な状態が続き、トラブルが頻発。 気を付けてくださいね。
オレも素直に婚約会見だと思っていたし、 あの瞬間、明菜さんの顔色も変わった感じだったからね。
ちなみに、中森さんはメリーさんの話を信じ、その後、 「研音」を辞めると、近藤さんの担当だった小杉理宇造さんと、個人事務所 「コレクション」を設立しているのですが、 謝罪会見の後、本格的な活動をしないうちに小杉さんは降ろされ、ひとりになった中森さんはしばらく路頭に迷われています。
11こういった理由で、当時も明菜つぶしに躍起になっていたと言われています。
当時の中森明菜さんの年収は5000万円以上だったそうなので、もし搾取を受けているなら、もっとギャラは少なくなるはずです。
これが不可思議な金屏風事件の真相と言われているものです。