春は萌え夏は緑に紅(くれない)の 斑(まだら)に見ゆる秋の山かも 《作者》 読み人知らず 《出典》 万葉集 巻10-210 《感想》 春夏秋の山の変化をうまく歌った歌。 若い人たちにコミュニティやアートを語りながら、あたらめてことばの力を思っています。
11原文は「吾背子波 物莫念 事之有者 火尓毛水尓 吾莫七國」。
蟻と蟻うなづきあひて何か事 ありげに奔(はし)る西へ東へ アリとアリが出会うと互いにうなずきあって 何か一大事が起きたかのように西へ東へと走って行く 《作者》 橘曙覧(あけみ) 《出典》 志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集 《感想》 まるで現代短歌のように思えるが,これは幕末に生きた福井藩士,橘曙覧 1812-1868)の作。 誰もが最後には死ぬことはわかっている。 【補記】「空」は「心空なり」などと言う時の「空」にひっかけ、霧の縁語として用いている。
10あの滝の落下の様子をこれほどまで言語で見事に表現できるものなのか。
瀧の水は空のくぼみにあらはれて 空ひきおろしざまに落下す 《作者》 上田三四二(うえだ みよじ) 《出典》 歌集「遊行」 《感想》 上田はアララギ派の歌人で医者。
隣より、とこなつの花を乞ひにおこせたりければ、をしみてこの歌をよみてつかはしける 塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわがぬるとこ夏の花 (古今167) 【通釈】寝床と同じ様に、塵ひとつ置かないように思っているのですよ、咲いてからずっと。
16人はだれしも心象風景のようなものを持っている。
「にて」は場所を表す格助詞。 そして春を待つ日本語も、同様に美しいものばかり。
「稍」はもともと「穀物の成長が少しずつであるさま」からきている。
これは現代も同じと思われる。 春の夜は、花が散るのばかり繰り返し夢に見て。