しかし、これは優しさではなく、晶子なりの通過儀礼のようなものでしょう。 (平野萬里解説) <晶子鑑賞>(平野萬里)から、法師温泉の歌を抜粋すると、 「赤谷川人流すまで量まさる越の時雨はさもあらばあれ」 赤谷川はその源を越後境の三国峠に発して法師湯の前を流れる常時静かな渓流である。 『湯の上の糸より細き小波も圓くもつれて楽めるかな 寛』 『湯口より遠くひかれて温泉は女の熱を失へるかな 晶子』 晶子の歌は、草の夢に掲載されたものと、微妙に表現が違います。
その一例をご紹介します。
与謝野晶子についてのまとめ 与謝野晶子は小さい頃から文学少女で「源氏物語」などを読み漁っていましたが、女学校卒業後は和歌の道へと進みます。 戒名は白桜院鳳翔晶燿大姉。 このころから鉄幹主宰の文学誌『明星』に短歌を載せるようになる。
1(与謝野晶子の碑ではないのね) 「源実朝 大海の磯もとどろによする波 われて砕けてさけて散るかも」 <走り湯> 熱海市伊豆山604-10 「拍手をば わがくろ髪に 送るなり 童めきたる 伊豆の走り湯」 「心の遠景」(与謝野晶子 1928年5月) 【畑毛温泉 栄家】 静岡県畑毛温泉 与謝野鉄幹・晶子は大正11 1922 年2月9日~11日、畑毛温泉栄家 大正10年創業:現在の大仙家 に、 平野万里、石井柏亭、高木藤太郎、只躰(誰かな?)と宿泊しています。 ・昭和12 1937 8月10日真珠荘で2泊。
病に倒れ「氷に眠る」 歌人として、学生としてようやく自分の人生を歩き始めた登美子ですが、幸せな時間は長くは続きませんでした。 菓子舗鳳宗七の長男。
17・「春みじかし 何に不滅の命ぞと ちからある乳を 手にさぐらせぬ」 (人生は永遠ではないのだからと自分の張りのある胸にあなたの手を導く ・「みだれ髪を 京の島田にかへし 朝ふしていませの君ゆりおこす」 みだれ髪を綺麗に結いなおして朝寝するあなたを揺り起こす ・「やは肌の あつき血汐にふれも見でさびしからずや 道を説く君」 熱くほてった肌に触れず人生を語り続けてばかりでは寂しいはず セクシャルな内容と聞いていても、実に上品ですね。
平野万里が晶子鑑賞の中で、このように書いています。 <與謝野寛・晶子連理歌碑> 湯河原町吉浜1871-1 有賀精氏が、真珠荘の庭に、昭和18年3月26日建立。
二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏(おそ)れを知らぬ春のヴィーナス 素晴らしい翻案だと思う。
僧侶に与謝野晶子が恋したときの気持ちを詠んだといわれています。 これも山の温泉の特殊相である。
(昭和13年)10月より刊行し、翌年9月に完結した。